早いですね、もう24年も経ちました。
…ブログに取り上げるの遅くないニャ?
相変わらずイヤなところついてきますね。
たしかに、この話題を取り上げるなら1月17日が一番ふさわしいと思いますし、僕もちょうど24年を迎えた日、なんなら5時47分にブログを更新したかったです。
すればよかったニャ
…イヤな猫ですね。
知ってるでしょ、僕が風邪引いてるってこと。
…知ってるニャ
数日前から風邪を引いたらしく絶不調なんです。
それも夫婦同時に、同じ症状で。
さいわいにも熱はそんなにないので動けはするんですが、喉の痛みがハンパない。
咳も出るので家の中でも常にマスク状態で、飴やガムで常に口腔・咽頭を潤しながら、再々うがい・手洗いをしている状況です。
で、一番の問題が息子にうつさないかということ。
いまのところはいつもと変わらず元気にしてるので、できればうつす前に完治してしまいたいところなんです。
ご主人と奥さん、ふたりともマスク姿なのは異様ニャ。
早く治ってほしいニャ。
というわけで今回のお題は、本当は1月17日に書きたかったものなので、できれば1月17日の気持ちで読んでいただけると嬉しいです。
読み手まかせニャ
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当時はまだ高校生
若かったです。
今と大違いニャ
僕、学生時代の記憶ってそんなに残ってないんですけど、さすがに震災当時の記憶は結構鮮明に残っています。
それだけインパクト強かったってことニャ
そうですね、ほんと青天の霹靂でした。
5時47分…その当時は朝6時半に起きていたので、本来ならまだ寝ている時間だったのですが、5時40分頃にカラスの鳴き声で目が覚めました。
それも1羽だけじゃなくて、何羽も。
それからしばらくしてトラックが家のそばを走っているかのような地響きが聞こえてきて…それから1,2分で強い縦揺れのあと、激しい横揺れがきました。
僕が寝ていた場所のすぐ横に大きな和ダンスが置いてあったので、それが倒れないように押さえておくのに必死だったのを覚えています。
揺れがおさまったあと、真っ暗です。
家の中がぐちゃぐちゃで、手探りで玄関まで進まなければなりませんでした。
震災、知らないニャ
にゃん太はまだ生まれてませんもんね。
去年6月の大阪北部地震であんなにパニクってたんですから、阪神淡路大震災のときににゃん太がうちにいたら大変なことになってたでしょうね。
おしっこちびってるニャ
話を戻しますが、うちはまだよかった方だと思います。
物的被害だけで、家族は全員無事でしたから。
真っ暗な外に出て、近所の人と話しをしながら夜が明けるのを待ちました。
遠くでサイレンの音が鳴り響いているのを聞きながら。
寒そうニャ
それ、あまり感じてなかったんですよね、たぶん興奮状態だったんでしょう。
その後、近くの公民館での避難所生活を3週間ほど経て、一時的にマンションへ引っ越しました。
家、ダメになったニャ?
半壊です。
黄色い紙が貼られてました。
当時、賃貸だったので家財の被害だけでしたが、持ち家の人たちは大変だったと聞きます。
地震災害に対する補償が手厚くない時代でしたから。
いま思うこと
ありきたりですが、備えは必要です。
物もですが、それ以上に気持ちの備えが大切だと思います。
被災直後は本当に頭が真っ白になり、上手く考えが出てこないしまとまりません。
なので、被災したらまずすることを事前に考えておくことが重要だと思います。
初動さえ上手くいけば、その後は冷静に物事を判断できるようになると思うからです。
特に、いまは妻も息子もいる身です。
僕がパニックにならないように、そのために備えるようにしています。
でも、特に変わったことはしていません。
TVでもよく言われているようなことです。
● 防災グッズの準備と確認
● 備蓄食の賞味期限チェック
● ハザードマップの確認
● 家族間での避難場所の共有
● 避難経路の確認
これだけニャ?
あれこれ言い出したら、それこそやっておいたほうがいいことなんて無限にあると思うんですが、あまり気をつけないといけない点が多すぎると日々の生活自体が窮屈になってしまいそうなので、被災直後に頭が真っ白になってパニクらない程度に備えるようにしています。
頭が冷静に働いていれば、情報を集めたり判断したりできるので、そこから先はそうなったあとの自分に任せようと思います。
アバウトニャ
災害って想定外のことのオンパレードですからね。
臨機応変に対応できる自分でいることが一番の備えだと思っています。
にゃん太は災害が起きないことを祈っとくニャ
今回のまとめ
- 被災経験(体験談)は共有した方がいい
- 備えは大切だけど、日常生活に支障をきたさない程度に
- 被災直後にパニックにならない程度の備えは必要
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